日本でボランティアによる電話相談活動をはじめたいという気運が起きていたときに、この事業の先導者の一人である「ライフライン」のアラン・ウオーカー氏がオーストラリアから来日されました。彼の話に勇気づけられて1971年10月東京で「いのちの電話」(「ライフライン」の直訳)が誕生しました。〈ライフは命、ラインは電話線のこと〉
人は生きている間に、自分の力ではどうしようもない出来事に出合い、歩む方向がわからなくなることがあります。路頭に迷い込み疲れ果てた末に、絶望に打ちひしがれてうずくまってしまい、遂には自分を追い込み自殺まで考えてしまう人もいます。
そういう時に、誰かにそっと寄り添ってもらい、一緒に考えながら歩みの道しるべを探してもらいたくなります。そんなSOS信号を点滅させている人に手を差しのべて、ともに考え、命を大切にして生きていくことを願う活動が「いのちの電話」です。
現在は全国に50の「いのちの電話」センターが設置されています。都道府県に1か所程度が地元の市民運動で誕生しています。その第1号は東京センターですが、1977年に「日本いのちの電話連盟」が組織されました。
奈良センターは1979年10月に全国で8番目に設立され、24時間ホットラインとして稼働したセンターとしては3番目になります。
連盟では、「いのちの電話」の理念を確認しあいながら各センターが足並みをそろえて相談事業を推進できるように相互間の調整や連絡等を図っています。
「いのちの電話」の
5つの約束
24時間365日休むことなく電話を受けることを約束しています。つまり「眠らぬダイヤル」がいのちの電話のモットーです。これは実に多くの人たちがボランティア精神で活動に参加することによって成り立っています。
人が苦悩する問題は、いつでも、どこででも、だれにでも、どんなことからでも襲いかかります。事によっては待ったなしの緊急性や即時性が求められ、まさに電話の持つ機能がそのSOSの救いになります。
人間とは、自分の心の中に充満する苦悩を他人に預かってもらえたら、暗闇だった心の中に薄明かりが見え出し、やがて少しずつ晴れ間ができてきます。そうすると今まで苦悩の中で押しひしがれていたものが元気を取り戻し、やがて自らの力で行く道が見つかるようになるものです。
そのことを信じて手から手へ心のバトンを渡しながら電話をフル回転で稼働させています。
相談は受け手も掛け手もともに匿名です。自分を眼前にさらさないことで、心の中のものをありのままに全開でき真実を感情もろとも語りきれる場合もあります。全部を出し切った後の解放感、そしてそこからの気づきによって新たな自分を再出発させられることもあります。自分を見失うぐらいに葛藤の渦に巻き込まれてしまった人が、やむにやまれぬ状態の中から誰かの力を借りたいと願って、いのちの電話に頼ってきます。
いのちの電話は、このことを大切にして「名乗らなくて結構です」と呼びかけています。たとえ名乗られない人の身に起きた事柄だとしても、一つ一つはその人にとっては心の中の現実ですからもちろん秘密にしたいことです。聞いた側がその語りを重く感じ秘密事項として守ることは当然です。相談員個人としても組織としても決して内容をそのまま公開することはありません。
(ただし、命の存亡に関わることと犯罪事象に抵触することの場合のみは、しかるべき機関に通報することなどを話した上で適切な手段で応急対処することがあります。これは、法人に課せられている義務の一つでもあります。)
命は全てに平等に与えられているもの。したがって平等に与えられた命をもつ人間は、等しくその人権も尊重されなくてはなりません。この精神を基本にして一人ひとりの出会いを大切に丁寧に寄り添います。人間には、その人がたとえ今どのような立場にあっても、必ず良いところが光って見えるものです。その光るものを一緒に探してくれる人に出会って肯定的に受容されたとき、人は自分の中に人を受け容れるゆとりがよみがえります。人は他人から信頼されたとき、他人を信頼できるようになれます。そして他人の言葉にも素直に耳を傾けることができるようになれます。
このように、人が人に支持されることの意味を大切にした出会いを旨としています。
いのちの電話は社会福祉法人またはNPO法人などの公益性のある活動をしている組織で、ボランティア精神を基盤に置く呼びかけに賛同した人たちで運営されています。したがって、たくさんの人の力の集積で維持されています。心ある一人ひとりの市民が、ともに暮らす地域社会のために自分のもつものを出しあって支え合う社会づくりを目指しています。お互い様の精神がこんな形で結晶して、地域内にたくさん点在していることはうれしいことです。いのちの電話活動もそのひとつです。
電話相談は耳力が命です。受話器を手にするたびに「きく力」について考えています。「きく」とはいろいろな字が当てはまります。そのなかでもっとも重んじられているのが「聴く」。この字には「心」という字が含まれています。相手の話の筋や事柄とともにその語り方に込められている心を感じながら、耳をとおして相手の心のなかにあることを丸ごと受け容れられるようになりたいと思います。
(相談員歴5年 40代 女性)
身体を傷つける暴力に対しては、目に見える痕跡からDVとか虐待とか社会問題になり犯罪行為とされますが、言葉の暴力で心が傷つけられたものは、目に見えないだけに手当も遅れがちになります。それだけに治りにくく傷口を悪化させ苦しみを深めているたくさんの人からの相談にであいました。言葉の持つ魔力と怖さについて考えさせられました。
私は、日頃こんな大切なことをつい忘れてしまい、安易に乱暴な言葉づかいをしている自分だったと反省しました。相談に携わるようになって言葉に敏感になりました
(相談員歴15年 60代 女性)
自分が今まで身につけてきたことを世の中で役立てたいと相談員になったけれど、実際に受話器を手にしてみると、今までいかに自分が独りよがりで生きていたかを思い知らされました。
私が想像もしなかったような環境の中でいかに多くの人々が必死に生きているかを知りました。当初は人間の底力とたくましさに圧倒され、生きるための気迫にたじろぎました。
いま私は、相談現場は修行道場だと思っています。先日昔の同僚たちと出会ったとき「お前成長したな」と言われてくすぐったい気分でした。
(相談員歴3年 65歳 男性)
休む間もなくかかり続ける相談電話は、私の心をくたくたにします。相手に合わせて自分の感情や思考をフル活動させて目一杯正面からお付き合いしますから、受ける刺激は半端でなく、相談終了後は疲労困憊してしまいます。
でも、相談してくる人たちとの出会いは、人間という存在を考えさせられる時間でもあります。体の老化が動脈硬化などに現れるのと同様に、一時は心の硬化を心配したこともありましたが、お蔭様で私の心は以前にも増して柔らかくなり、目下心身ともにバランスのとれた若さを保っていると思っています。
(相談員歴20年 70代 女性)
奈良いのちの電話で相談ボランティア活動に就いている相談員の実数は、現在約200名です。300名余りいた頃と比べるとかなり厳しい状況になっています。養成講座を修了して認定された相談員の数は1,100余名に至っていますが、昨今、養成講座受講者が減少傾向にあり、実務に就く人数も減少してきています。しかし、相変らず相談電話は24時間鳴り続け、かつ相談内容は厳しさを増しており、この活動へのニーズの高さを感じます。だからこそ、一層多くの方々の参加を待ち望んでいます。